高校時代にサーフィンを始め、アマチュア、そしてプロとして活躍。現在は、女性向けのサーフィンスクール「FUNBee(ファンビー)湘南」を主宰する福谷周子さん。20数年間、サーフィンから離れたことがないという福谷さんに、サーフィンを始めたきっかけやサーフィンスクールを開校するまでの経緯、一生の仕事にするほどまでに福谷さんをとりこにしたサーフィンの魅力について聞きました。
高校時代からサーフィン一筋!
— いつ、どのようなきっかけでサーフィンを始めたのですか。
福谷♣ 高校生のとき、サーフィンをしている友だちに連れて行ってもらったのがきっかけです。その友だちのお父さんがサーファーで、所属しているお店でボードを借りてやりました。サーフィンってどんなスポーツなのかも知らずに行ったんですが、すごく楽しかった!
小学校5年生まで父の実家の山口県に住んでいて、目の前が海だったんです。毎日、夕方暗くなるまで、海で遊んでいた。それが、神奈川県の川崎に引っ越したら、海がなかったのが寂しくて。海に行きたい、行きたいと思っていたから、海でやるスポーツにはまってしまったのかもしれません。すぐには波に乗れないむずかしさも魅力的でした。
それから、毎週のように海に行くように。川崎から当時は大磯まで、はじめのうちは、電車で通っていました。
— それまで、ほかのスポーツは?
福谷♣ 子どものころから体を動かすのが好きで、スポーツ少女だったんです。中学からソフトボールを始め、けっこう強かったんですよ。高校でもサーフィンに出会うまではソフトボールをしていました。
— 福谷さんがサーフィンに夢中であることについて、ご両親の反応は?
福谷♣ とても協力、応援してくれていました。誕生日が早かったので、高校3年生のときには車の免許を取り、サーフィンにも車で行くようになりましたが、はじめの数か月は、海までの道のりを心配して母が同乗してくれていました。行きは私が運転し、海に着くと母が車を乗って帰ってくれるということを、高速道路や運転に慣れるまで付き合ってくれました。
ときには、おにぎりやお菓子を持たせてくれることもありました。
20年間、サーフィンから離れたことなし!
— その後、どのような形でサーフィンに関わっていったのですか。
福谷♣ 高校を卒業してから、海に携わる仕事がしたくて、海洋学の専門学校に行ったんです。そこで、ダイビングやヨットなど海のスポーツの体験をさせてもらいました。ダイビングのインストラクターとか、小型船舶免許などの資格も取得しました。そのころ、住まいも湘南に移し、サーフィン三昧。
— 専門学校を卒業後は?
福谷♣ サーフィン中心の生活です。とにかく毎日、サーフィンをしたかったので、就職はせず、波のあるところの近くで働くという感じ。夏はライフガードやプールの監視員などをやりながら、サーフィンを続けました。いままで20数年間、サーフィンから離れたことは一度もありません。
アマチュア、そしてプロとして活躍
— 競技でも、アマチュア、そしてプロとしてご活躍されましたね。
福谷♣ アマチュア時代は、小さな大会から大きな大会までいろいろ出ていました。最初は会場でサーフィン仲間に会えるのが楽しくて大会に出ていましたが、いつの間にかアマチュアの大きな大会をすべて制覇していました。日本代表で世界戦へも出場させてもらい、その世界戦の後、すぐに出場したプロトライアルで入賞し、プロに転向しました。
プロになれたのは、2000年、26歳のときです。プロになると一応、賞金という形でお金がいただけるのですが、日本の場合、プロとして食べていくことはむずかしい。なので、それからもいろいろなアルバイトをしながら、全国や海外のツアーを回りました。
— 日本に、女性のプロサーファーはどのくらいいるのですか。
福谷♣ 登録公認のプロはたくさんいると思いますが、実際にツアーを回っている人は、女性は40人弱ぐらい。男性は100人以上います。
最近は高校生のプロも誕生しています。親がやっていて、子どもにもサーフィンをさせるという人が増えてきたからだと思います。つまり、サーファーの第二世代が育ってきているんですね。このまま、どんどん裾野が広がってくれるといいな。
*高校時代からサーフィン一筋、20数年間サーフィンから離れたことなし! 福谷さんをそこまで夢中にさせたサーフィンの魅力とは? 後編でお楽しみください。
First Posted : 2015.7.21 on "clover&"