「笑うキモノ生活『玉のり』」を主宰し、キモノまわりの小物の販売やイベントのプロデュースなどを手がけているハシヅメノリコさん。インタビューには、ハッと目を奪われるターコイズのキモノで登場。和と洋を上手にミックスさせた斬新なキモノの楽しみ方は、体型や好みの変化で「最近、何を着ていいかわからない…」と悩む40代前後の女性にとって大いに参考になりそうです。
はじめて自分で買ったのは、山本寛斎デザインの浴衣
— ハシヅメさんが、キモノに目覚めたきっかけから教えてください。
ハシヅメ♣ キモノは、なんとなく子どものころから好きだったんです。祖父が百貨店を退職後、花嫁衣裳の貸衣装店を始めたり、身近にキモノ商売を見ていたということもありますね。でも、夏に浴衣を着せてもらったり、いとこで集まるときにキモノを着せてもらうくらい。とくに自分のキモノは持っていなかったし、実は成人式にも着ていないんです。
本格的にキモノに目覚めたのは、二十歳を過ぎてからですね。ちょうどそのころ、キモノのアンティークブームが始まり、それに興味をもったんです。ただ、本物のアンティークは、当時はちょっと抵抗があって。手放した方の悲しい思いがつまっていたらいやだな、と。でも、ポリエステルの洗えるキモノが出始めて、アンティークを意識した色、柄のものが多かったので、そういうものを自分で買うようになりました。
— いちばんはじめに、自分で買ったキモノは?
ハシヅメ♣ 短大を卒業後、百貨店の婦人服売り場に勤めていたのですが、初月給が出たときその足でまっすぐキモノ売り場に行って、1枚浴衣をあつらえました。山本寛斎のデザインで、藍染めの地に斬新な柄が入ったおしゃれな浴衣でした。思えば、それが自分のお金で買った初めてのキモノですね。
アンティークのキモノを中心に、自分で着付けて、楽しんで
— そこから、キモノ生活一直線?
ハシヅメ♣ いえ、徐々に好みのキモノを揃えていたものの、時間があるときに自分で着付けの練習をしたり、お正月や花火大会にキモノを着ていくくらいでした。
ただ、キモノって揃えはじめると、どんどん自分の欲しいものが出てくるんです。以前は抵抗があったアンティークものも、自分が着なくなったものを誰かが着てくれるのなら、キモノも喜ぶに違いない、という解釈に変わりまして。自分でも、どんどん利用するようになりました。
当時、昭和の初めごろに大ブレイクした銘仙(めいせん)という絹織物がありまして、色柄が大胆でとても好みだったんですね。それが2000円前後で手に入ったので、ずいぶん買いました。その後、どんどん値段があがり、いまではとても2000円なんて値段では買えないんですよ。
— 着付けは、どうされていたのですか。
ハシヅメ♣ 実は私は、着付けの学校に通ったことは一度もないんです。古い着付けの本を見ながら、独学で覚えました。最初はグズグズで悲惨な姿にできあがりましたけど、やっているうちに手が慣れてくる。そのうち、お茶のお稽古で先生にちょっとコツを教えていただいたりとか、お仲間に「ここ、こうしたほうがいいわよ」とアドバイスをもらったりとか、そんなふうにして自分で着られるようになりました。
仕事を再開するときに、「そうだ、キモノが好きだった」
— その後、どのようにして、「笑うキモノ生活『玉のり』」を立ち上げたのですか。
ハシヅメ♣ もともと絵を描くことが好きで、本当は美大に行きたかったんです。でも、うまくいかなくて、ふつうに短大に入り、百貨店に就職しました。でも、数年勤めたところで、どうしてもグラフィックデザインの勉強がしたくなって退職。専門学校に通いました。卒業後は、広告制作プロダクションにグラフィックデザイナーとして勤め、その後、フリーランスで活動をしていたんですけど、結婚や出産がありまして、いったん仕事は退いた形になりました。
子どもが小学校中学年となり、そろそろ手が離れはじめたので、さあ、もう一度仕事をしようと思ったときに、何をしようかと考えて、「そうだ、キモノが好きだった」と。13年前のことです。
はじめは手づくりで1点、1点
— 「玉のり」誕生の経緯を教えてください。
ハシヅメ♣ まずは作り帯や帯留めなどキモノまわりの小物類を自分で作って、デザインフェスタなどのイベントやネットで販売することから始めました。
作り帯は、簡単に締められるようにあらかじめお太鼓に結んだ形に加工してある帯のことで、私も自分でキモノを着るときにずいぶん重宝していました。それで、たくさんの人にキモノを楽しんでもらうなら、いろんなデザインの色柄の作り帯を販売するのがいい、と思いついたんです。
— それらの商品は、どのようにして作ったのですか。
ハシヅメ♣ 作り帯は、古いキモノを分解して作ることもあるんです。キモノって平面的な布を無理やり立体的に着付けるので、生地に負荷がかかり、年月が経つと生地が弱くなるんです。それで、古い生地を見つけたときに、キモノとして着るには厳しいけれども、作り帯だったらできる、と思いつきまして。リサイクルショップやいろいろなところをまわって生地を集め、1点1点手づくりで仕上げました。
帯留めは、樹脂粘土といって、乾かすとプラスチックのような仕上がりになる素材を削ったり磨いたりして作りました。こちらを作り帯とセットで販売したら、思いのほか反響があって。デザインフェスタには14~15点くらい出品したのですが、あっという間に完売。10代くらいの若い方が買っていってくださったことには、驚きました。
— 手づくりからのスタートだったのですね。
ハシヅメ♣ その後、いろいろな出会いがあって、キモノまわりの小物の販売だけでなく、オリジナル長羽織や小千谷縮(おぢやちぢみ)のプレタキモノの販売、キモノを着て遊びに行ける場づくりのイベントプロデュースなど、活動の幅を広げてきました。
*こうして立ち上がった「玉のり」の看板商品は、気軽にキモノを楽しめる斬新な色柄の作り帯。
キモノとの合わせ方や着付けについては、後編で!
First Posted : 2014.9.29 on "clover&"