vol.27
歩いても歩いても 上原千都世夏も終わりに近いある日。横山良多(りょうた)は、妻と息子を連れて久しぶりに実家に向かいます。その日は、15年前に海で溺れた少年を助けて命を落とした良多の兄の命日です。父とソリが合わない上に、失業中ということもあり、両親に会うのも気が重い。実家に着くと、明るい姉とその一家も来ていて、母は姉と一緒に得意料理を次々とこしらえてなごやかに食卓を囲みます。しかし兄の死は、抜けない小さな棘のように、15年経っても家族それぞれの心に刺さっているのでした。
15年前に亡くなった長男の命日に集まった、家族のある夏の2日間を描いたホームドラマです。
体裁を重んじる両親に失業した事実を言い出せない良多。元開業医の父は、跡取りの長男に突然先立たれ失意と怒りを抱えたまま。専業主婦として家を守ってきた母も、息子の死の痛手が癒えず、つい棘のある言動になってしまいます。良多はそんな両親をわずらわしく思う反面、年老いた両親に優しくできない自分に悶々とした気持ちも抱えています。親の期待に沿えなかった負い目や亡くなった兄へのコンプレックスも消化できず。
命日には毎年、兄が助けた少年がお焼香をしに来ることになっています。「あんなヤツのために息子がなぜ」と怒りをあらわにする父、そして「1年に1回くらいうちに来て辛い思いをすればいい」と淡々と語る母、そして「こっちは生きている人のことでせいいっぱい。死んだ兄さんが両親の面倒をみるわけじゃないのに」という姉。そして良多の妻は、連れ子再婚ということで疎外感を感じつつも、夫の実家で過ごす時間をうまくやり過ごそうとしますが、ときどき針のようにチクチクと刺してくる良多の母の言動に傷ついています。
なにげない家族の会話や、食事の支度や食卓を囲む日常のシーンの積み重ねの中から、もう何年も前にいなくなった長男の影に知らず知らず振り回されている家族の、切なさ、やるせなさが浮かび上がってきます。
タイトルの「歩いても歩いても」は1968年発売のヒット曲「ブルー・ライト・ヨコハマ」の歌詞の一部。劇中でも重要なモチーフとして登場します。人は多かれ少なかれ何かしらの葛藤を抱えています。「歩いても歩いても」正解にたどりつけない、それでも生きていくのが人生。実家やお墓に続く長い長い坂道や階段は、そんな人生を象徴しているようにみえます。静かだけど、じわじわと心にしみこんでくる映画です。
First Posted : 2015.8.17 on "clover&"